極右を報じるほど正常化する——ジャーナリズムが陥るパラドックス
批判的報道でさえ「免疫」にならない、という研究が示す不都合な真実
極右政治家が過激な発言をする。メディアはファクトチェックを行い、専門家の批判的コメントを添えて報道する。一見すると、これは民主主義的ジャーナリズムの正常な機能のように見える。しかしNRCに掲載された著者クリス・ユリアンによるオピニオン記事は、その「正しい報道」こそが問題を深刻にしているという不都合な仮説を提示している。
ファクトチェックが逆効果になるメカニズム
正常化には二つの経路があるとユリアンは整理する。一つは極右の主張をそのまま垂れ流すことで正常化が起きるケース。これは多くの人が認識している。問題は二つ目で、批判的・告発的な報道であっても同様の効果をもたらしうるというものだ。
この主張を支えるのが、昨年夏にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の研究者たちが発表した調査結果だ。批判的な文脈に挟まれた形で極右の発言を提示しても、正常化効果は相当程度残ることが確認された。研究者の一人は科学サイト「Scientias」に対し、「極右の人物にインタビューして、それが社会的な受容度の上昇につながらないようにするのは、非常に難しい」と述べている。
その背景には神経科学的なメカニズムがある。ユリアンは2004年に神経科学者ジョージ・レイコフが示した「ピンクの象を考えるな」という概念を引用する。何かを繰り返し耳にすれば、文脈がいかに批判的であれ、その概念は脳内の神経回路を強化し、記憶に刻まれる。「移民」「亡命希望者」「不法」——これらのワードは言及されるたびに集合的意識のなかで存在感を増す。結果として、極右的な考えが社会に広く共有されているという誤った印象が形成される。
リベラルな民主主義の「アキレス腱」
ユリアンが特に鋭く指摘するのは、この問題がジャーナリズムの商業主義だけに起因するのではないという点だ。問題の核心は、リベラルな民主主義が前提とする「中立性」という価値観そのものにある。
ジャーナリズムが権威を持つのは、中立的な観察者として社会の「外側」に立つからだ。しかし、極右が「支配的な規範」を書き換えつつある状況で、その規範に沿うことが中立性だとすれば、ジャーナリズムは自らポピュリストの道具になる。かといって積極的に介入すれば、中立性の看板を下ろすことになり、やはり権威を失う。これがユリアンの言う「独立性のパラドックス」だ。
ポピュリストはこの構造を熟知している。境界線が引かれても「で、どうするの?」と涼しい顔でいられるのは、繰り返し境界線を引くこと自体が、その境界線を「単なる意見のひとつ」へと溶かしてしまうと知っているからだ。
コルドン・サニテールの有効性と限界
では、どう対処すべきか。研究者たちが参照するモデルの一つが「コルドン・サニテール」、つまり極右を政治的・報道的に完全隔離する手法だ。しかしユリアンはその有効性に条件をつける。隔離が機能するのは、それが完全に維持されている場合に限られる。ドイツの「ブランドマウアー(防火壁)」の比喩を使えば、一枚でも煉瓦を抜けば炎は広がる、というわけだ。
この論点は、オランダ在住の日本人にとっても他人事ではない。PVVを筆頭に極右的な言説が主流政治に食い込むオランダでは、メディアの報道姿勢そのものが常に問われ続けている。何を報じ、何を黙殺するか——その選択のすべてに政治的含意が伴う時代に、ジャーナリズムはいかなる立場をとりうるのか。この問いに対する答えは、記事の中でまだ出ていない。
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情報源: NRC
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