シリア内戦を生き延びた考古学者3人、ライデンで古代遺物と向き合う
国立古代博物館が一時雇用を創出——メソポタミアの記憶を次世代へ
ライデン国立古代博物館(Rijksmuseum van Oudheden、以下RMO)の収蔵庫3階に、段ボール箱が整然と並ぶ一角がある。その棚の前に立つのは、シリア内戦を生き延びてオランダに辿り着いた考古学者3人——ノウル・シュカール(37歳)、ゼイナブ・バルーク(32歳)、カラム・アブード(31歳)だ。3人は今、1970年代にオランダの研究チームがシリアで行った発掘調査の出土品を、数十年越しに開封し記録するという仕事に向き合っている。
メソポタミアの遺物と、流転の半生
3人は全員ダマスカス大学で考古学を学んだが、2011年の内戦勃発が人生を一変させた。アブードは徴兵令を受けてレバノンへ脱出し、ベイルートで修士号を取得。しかし2020年のベイルート港爆発を機に再び安全な地を求めた。渡航ルートについては「内戦よりも過酷だった」と短く語るのみだ。バルークとシュカールは2019年にハンガリーへ渡り、ブダペストのパズマニ・ペテル・カトリック大学で修士号を取得。バルークは優秀な成績で博士課程にも進んだが、ムスリム女性としてヒジャブを着用していたことで日常的な攻撃を受けるようになり、渡航を決意した。「安全のため、意識してオランダを選んだ」とシュカールは振り返る。
RMOでの採用は、友人ロッテリー(VriendenLoterij)からの年次助成金を一部充当する形で実現した。本来は1名分の一時雇用ポストだったが、担当キュレーターのダフィド・ケルタイが3人で分担する形に組み替えた。3人はそれぞれ以前からボランティアとして館に関わっており、その実績が評価された。
水没した古代都市の記録
3人が取り組む遺物は、ジェベル・アルダとセレンカヒエという2か所の遺跡に由来する。いずれもユーフラテス川のタブカダム(1968〜73年建設)によって水没する前に発掘されたものだ。ライデン大学チームはジェベル・アルダで紀元前3400〜3000年頃のウルク文化の神殿複合体を掘り起こし、アムステルダム大学チームはセレンカヒエで紀元前2400〜1900年頃の集落跡を調査した。発掘の対価としてシリア政府がオランダ側に贈った出土品の一部が、数十年間手つかずのままRMOの収蔵庫に眠っていた。
箱を開けると、時代の断片が飛び出してくる。人型や動物型の土製奉納品295点、意図的に割られた儀礼品の破片——そしてフィルムケースやマールボロの空き箱に収められた遺物、中国語で書かれた木箱(当時のシリアが複数の共産主義国から支援を受けていた証左だとケルタイは説明する)。「これ自体もある種の考古学だ」とケルタイは言い、シリアのトイレットペーパーに包まれた遺物だけは廃棄したと笑う。
「経験不足」という壁と、希望のかたち
オランダに来た3人を待ち受けていたのは、専門資格への敬意よりも先に立ちはだかる現実だった。シュカールは複数の発掘会社に応募したが、返ってくるのは「オランダでの経験が足りない」という言葉ばかり。シリアでの発掘経験を伝えると、今度は「オランダ国内の経験がない」と言われる。アブードも「中東出身というだけで、考古学者として最初から真剣に受け止めてもらえない」と語る。在留許可保持者(ステータスホルダー)として、高度な専門知識を持ちながらもゼロからの再出発を求められる構造は、3人に共通する経験だ。
それでも3人はRMOの機会を足がかりに、将来の博士号取得を視野に入れて研究を続けている。収蔵庫の棚に並ぶ整理済みの箱を誇らしげに示すシュカールの姿は、消えかけた記憶を取り戻す作業が、自分たち自身のアイデンティティの回復とも重なっていることを示唆している。「メソポタミアといえばイラクしか思い浮かばない人が多い。シリアの歴史の豊かさを知ってほしい」——シュカールの言葉は、遺物の記録作業の先にある、より大きな問いかけでもある。
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情報源: NRC



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