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ロッテルダムに「国立モルッカ人記念碑」除幕――首相の謝罪より名誉回復を求める声
社会 読了 2分

ロッテルダムに「国立モルッカ人記念碑」除幕――首相の謝罪より名誉回復を求める声

75年前の屈辱的な扱いを刻む記念碑、当事者の孫世代が語る複雑な思い

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ロッテルダムのロイドカーデに、「国立モルッカ人記念碑」が除幕された。75年前、まさにこの岸壁からモルッカ人兵士とその家族がオランダの地に降り立った。式典にはイェッテン首相が出席し演説した。謝罪の言葉が出るかどうかが最大の焦点となったが、当事者の孫世代からは「謝罪よりも名誉回復と歴史調査を」という声が強く上がった。

元ナチス収容所での「仮住まい」が恒久化

モルッカ人兵士たちは、1945年から1949年にかけてのインドネシア独立戦争でオランダ側として戦ったKNIL(オランダ領東インド軍)の職業軍人だった。戦後、インドネシア政府から帰郷を拒まれた彼らを、オランダ政府は1951年に約1万2500人の兵士とその家族ごとオランダへ連れてきた。当初の滞在期間は半年の予定とされていたが、結果的に帰還は実現しなかった。

オランダ到着後、彼らはウェステルボルクやフフトといった旧ナチス強制収容所跡地を含むキャンプに収容された。さらに軍人としての身分を剥奪された上、収入の60%を住居費として国家に返済させられた。式典の司会を務めたプログラムメーカーのロッキー・トゥフテル(67)の祖父母も同様の経験をしており、「家具代の前払いを受けたが、一セント残らず返済させられた。屈辱的だった」と振り返る。トゥフテルの母親はその後も生涯にわたってオランダ政府を不信任し、「オランダ人を絶対に信じるな」と語り続けたという。

「謝罪よりも、歴史を明らかにしてほしい」

記念碑設立に携わったニーナ・ヌシー(29)の祖父母もロイドカーデから上陸し、カンプ・フフトへと送られた。かつてオランダ軍の一等兵だった祖父は、その後メール工場で働くことになった。「一流の兵士だったのに。自尊心がどれほど傷ついたか」とヌシーは語る。

ヌシー自身は首相への謝罪を求めていない。「謝罪の対象となる祖父母は、もう何年も前に亡くなっている」からだ。賠償についても「誰に支払うのか。第二世代もすでに少なくなっている」と疑問を呈する。彼女が重視するのは「エールヘルステル(名誉回復)」だ。そのためには、なぜモルッカ人が期待していた帰還を果たせなかったのか、コミュニティとの対話を通じて歴史を解明することが不可欠だと訴える。

トゥフテルも同意見で、「なぜ彼らは結局戻れなかったのか、オランダ政府・インドネシア・そしてアメリカの関与も含めた歴史的調査が必要だ」と強調する。一方で、イェッテン首相が式典に足を運んだことを「勇気ある行動」と評価し、「前任者たちがあなたたちを犠牲にした過ちを犯した、という趣旨の言葉を選べば、それは確かな修復の一歩になる」と期待を示した。

在蘭日本人にとっての視点

今回の除幕式は、オランダが旧植民地との歴史に向き合う継続的なプロセスの一場面でもある。オランダ政府はこれまでインドネシア独立戦争における暴力についての謝罪を行っており、モルッカ人問題もその延長線上に位置づけられる。記念碑はコミュニティが主体となって実現させたものだが、首相の出席により国家レベルの関与という新たな局面を迎えた。謝罪・賠償・名誉回復のどれを優先するかという問いは、植民地主義の後始末に向き合う多くの社会に共通する課題でもある。

情報源: NOS Algemeen

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