「真実?」展が問いかけるもの——科学への懐疑は、どこまで健全か
ライデン・ボールハーフェ博物館の企画展が示す光と影
ライデンの旧市街に静かに佇むライクスミュージアム・ボールハーフェ。科学史の宝庫として知られるこの博物館が現在開催している企画展「真実?疑いの芸術(Waarheid? Kunst van de twijfel)」は、科学における「真実」の脆さをテーマにした意欲的な試みだ。もともとベルギーのゲント大学博物館で制作された展示をボールハーフェが独自のコレクションや借用品で拡充し、4つのテーマゾーンで構成している。
展示室に足を踏み入れると、まず目を引くのが1924年と2021年、それぞれの時代に復元されたネアンデルタール人の顔面模型だ。1924年版は当時の人種的偏見を色濃く反映した粗野な顔つきだが、2021年版の「クレイン」は驚くほど現代人に近い。このビフォー・アフターだけで、科学的「真実」がいかに時代の価値観に規定されるかが一目で理解できる。嘘発見器、南アフリカ真実和解委員会の報告書、ジョージ・オーウェルの『1984年』——展示物はいずれも「真実とは何か」という問いを多角的に突きつけてくる。
整然とした展示、しかし哲学の不在
4つのゾーンは「真実の語り手」「真実の道標」「真実の攪乱」「真実の探求」と名付けられ、それぞれに化石標本、指紋採取セット、シリア難民の刺繍作品、子どもの心理テスト用絵画などが並ぶ。照明はやや抑えめながら、展示物の数が適切に絞られており、来場者が迷子にならずに観覧できる点は好評だ。
ただ、NRCの評者が鋭く指摘するのは、展示の根幹に据えられるべき「真実とは何か」「知識とはいかなるものか」という哲学的問いへの掘り下げが決定的に薄いという点だ。テキストパネルのほとんどが「解釈」や「視点」という言葉で締めくくられ、科学的知識の社会的文脈を批判的に照らす姿勢は評価できる一方で、相対主義へと滑り落ちる寸前のバランスが続く。
「何も完全に真でも偽でもない」は言いすぎか
問題として特に槍玉に挙げられているのが、展示の終盤に掲げられた一枚のパネルだ。そこには「何も完全に真でも偽でもない。答えはたいてい中間にある」と書かれている。NRCの評者はこれを読んで「では、地球が太陽の周りを回るという事実も?」と問い返す。科学的知識が暫定的であることと、知識そのものが存在しないこととは、まったく別の話だ。
この区別の曖昧さは、2020年代の社会状況を考えると看過できない。コロナ禍以降、欧州各地でワクチン忌避や陰謀論が広まり、「科学もただの意見に過ぎない」という言説が力を持ちつつある。そうした時代背景のなかで、博物館という権威ある場が「すべては解釈次第」と発信することの影響は小さくない。評者が求めるのは絶対的な科学権威への回帰ではなく、「知識は暫定的だが、それでも知識である」という、より繊細なメッセージだ。
オランダに暮らす日本人にとっても、この展示は訪れる価値がある。科学リテラシーや「健全な懐疑心」をどう育むかは、オランダ社会でも活発に議論されているテーマであり、展示物の多様さと視覚的な整理のよさは純粋に楽しめる。ただ、帰り際には展示の問いを自分なりに受け止め直す作業が必要になるかもしれない。「疑うことの芸術」を学ぶためには、展示への疑いもまた必要なのだから。なお、本展はライデン市内のボールハーフェ博物館で現在開催中で、ゲント大学博物館版をベースにオランダ独自の展示が加えられている。
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情報源: NRC



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