世界初の同性婚合法化を生んだ1977年のコンサート「マイアミ・ナイトメア」
反同性愛の波に抗ったオランダの文化人たちと、その遺産
いまから約半世紀前、オランダの著名スターたちが一夜限りのステージに集い、LGBTQ+の権利を守るために声を上げた。その夜の熱気が積み重なり、やがて世界の歴史を書き換えることになる。差別や暴力が再び増加している今、1977年の出来事はかつてないほど鮮明に響く。
怒りと連帯が生んだ「マイアミ・ナイトメア」
当時のオランダと世界を揺るがしていたのが、米国の保守系活動家アニタ・ブライアントだった。歌手・モデルとして知られていたブライアントは1970年代、「同性愛は子どもへの脅威だ」と訴えて「Save Our Children(子どもたちを守れ)」運動を立ち上げ、その主張はヨーロッパにまで波及した。
これに対しオランダでは、1977年6月25日にアムステルダムで初めての同性愛者権利擁護デモ行進が行われ、約2,000人が参加した。主催したのは国際レズビアン同盟の女性たちだった。その数か月後、当時27歳だったヘンク・クロルが企画したのが、コンセルトヘボウでのチャリティーコンサート「マイアミ・ナイトメア」だ。当初の目的はアメリカの『タイム』誌に反差別広告を掲載するための資金集めだったが、イベントは予想を大きく上回る成功を収めた。
オランダの国民的テレビスター、ミース・バウフマンや「生活の歌の女王」ザンヘレス・ゾンデル・ナームなど、当代一流の顔ぶれがステージに立った。ザンヘレス・ゾンデル・ナームはこの夜のためにアニタ・ブライアントへ直接語りかける楽曲「ルイステル・アニタ(聞いて、アニタ)」を書き下ろし、万雷の拍手の中で披露した。
コンサートが動かした歴史
コンサートの収益は広告費を超え、ロビー活動を専門とする財団の設立資金にもなった。この団体が長年にわたって議会や世論に働きかけ続けた結果、2001年、オランダは世界で初めて同性婚を合法化した国となった。現在から25年前のことだ。コンセルトヘボウのあの夜がなければ、この歴史的な一歩はなかったかもしれない、とクロルは振り返る。
文化面での先駆けも忘れてはならない。同じ1977年、作家のアニー・M・G・シュミットは舞台上で初めて二人の男性が公衆の前で口付けをする演出を実現させた。俳優の一人、ウィレム・ナイホルトが観客からのブーイングに困惑してシュミットに「キスシーンをなくせないか」と相談したところ、「ぐずぐず言わないで。あなたは先駆者なのよ」と一蹴されたという逸話が残っている。こうした文化的開拓者たちの姿勢が、現代のアーティストたちにも受け継がれている。NOS制作のポッドキャスト「ルイステル・アニタ」では、シンガーのメロルやポール・デ・レーウがいかにこの時代に触発されているかが語られており、ジャンヒュ・マクローイも「沈黙や自分を小さくすることは答えにならない。勝ち取った空間を守るために、もっと声を大きくしなければならない」と語っている。
繰り返される試練、消えない課題
歴史的な進歩の一方で、近年オランダ国内でLGBTQ+への差別・暴力の件数は再び増加傾向にある。差別監視サイト「discriminatie.nl」の年次報告でも、その傾向は明確に示されている。2025年末から2026年にかけては、アムステルダムのプライド開幕に際して数十件もの差別申告が寄せられたほか、アメルスフォールトやザンドフォールトのプライドイベント周辺では警察が反LGBTQ+とみられる暴力事件の捜査を進めている。
在蘭日本人にとっても、この流れは無縁ではない。オランダ社会が長年培ってきた寛容さの価値が揺らぐ局面において、1977年の物語は単なる過去の記録ではなく、今日の市民社会に何が求められているかを問い直す鏡でもある。
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情報源: NOS Algemeen



