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人体展「ボディワールド」の創設者、グンター・フォン・ハーゲンス氏が81歳で死去
社会 読了 2分

人体展「ボディワールド」の創設者、グンター・フォン・ハーゲンス氏が81歳で死去

プラスティネーション技術の生みの親、「死後は自ら展示に」との遺志を残す

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アムステルダムのダムラクに構えるボディワールド常設展示施設では、スタッフが月曜の午後にその訃報を受け取った。人体解剖展示の世界的ブランド「ボディワールド」の創設者グンター・フォン・ハーゲンス氏が、脳出血の合併症により7月25日(金)に81歳で死去した。家族が週明けに公式に発表した。2年間同施設に勤めるスタッフのサイモン・アンドリューさん(49歳)は、「怖いと思う人もいるけれど、私は素晴らしいと感じる」と話し、展示への愛着を口にした。

執念が生んだ技術、プラスティネーション

フォン・ハーゲンス氏は1945年にポーランドで生まれ、東ドイツで育った。プラハの春の後に政治犯として1年以上収監され、1970年に西ドイツ政府に身柄を買い取られた後、リューベックとハイデルベルクで医学を修めた。1977年に開発したプラスティネーション技術は、体内の水分と脂肪を樹脂に置き換えて標本を半永久的に保存する手法で、今日では世界中の医学教育現場でも広く使われている。

しかし開発当初、彼は周囲から真剣に受け取られなかった。研究費に全財産をつぎ込み、自宅で実験を繰り返した末に勤務先の解剖学研究所から一時追い出されたこともあったという。旧知の同僚は「家族を顧みず、新しい鋸やポリマーを買うために多額の借金を重ねた。完全に取り憑かれていた」と振り返る。

5800万人を集めた展覧会と、絶えなかった批判

努力は実を結び、1995年に日本で開幕した第1回ボディワールド展は大きな反響を呼んだ。以来、様々なテーマの巡回展が世界各地を回り、アムステルダム、サンホセ、ベルリン、ハイデルベルクには常設展が置かれている。組織の発表によれば、累計来場者数は5800万人以上に上り、2万1000人が死後の遺体提供に同意している。

一方で、フォン・ハーゲンス氏は発足当初から批判を受け続けた。展示が「倫理に反するフリークショー」だという声や、遺体を商業目的に利用しているという指摘は途絶えなかった。2004年には中国から届いた7体を当局に返還せざるを得なくなった。処刑された受刑者の遺体である可能性が浮上したためだ。またロシアから送られてきた56体が、路上生活者や受刑者の遺体を違法に売却したとして有罪判決を受けた検視官から入手されたものだったことも発覚した。フォン・ハーゲンス氏は一貫して「遺体はすべて適正な手続きで入手した」と主張し、本人が有罪判決を受けることはなかった。

「死後は自分も展示に」——遺志として語り継がれる言葉

展示の演出をめぐっても議論が続いた。プラスティネーションはあらゆるポーズで標本を固定できるため、ボディワールドではサックスを演奏する遺体やポーカーを囲む3体といった場面が設けられている。とりわけ女性の遺体がスポーツ的ではなく示唆的なポーズで展示されているとして批判を浴びた。

そうした賛否の渦中にあっても、フォン・ハーゲンス氏は信念を曲げなかった。8年前には「死後は自分自身もプラスティネーションされたい。入口で来場者を迎えるか、スライスにして各地の会場に分けて展示してほしい」と語っていた。アムステルダムのスタッフ、アンドリューさんは「彼はここに来ても大歓迎だ」と笑顔で答えた。オランダ在住の方がボディワールド・アムステルダムを訪れる際には、この創設者の生涯と遺志を思い浮かべながら展示を眺めてみると、また違った感慨を覚えるかもしれない。

情報源: NRC

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